「頭に来てもアホとは戦うな!」は仏教の教えと共通点があった件

アホとは戦うな

ベストセラーの「頭に来てもアホとは戦うな!」をさっそく買って読みました。 日頃、私も職場で「なぜこんなアホどもと一緒に仕事をしないといけないんだ」と思いながら働いてます。たぶんそんな人は日本にゴマンとおり、喜び勇んで、この本をAmazonで発注したんじゃないんでしょうか?
そもそも私は、発達障害(ADHD)で、対人関係が大の苦手。なのに面倒な調整作業ばかりでストレスが多い。そして小中のときのいじめからプチトラウマで、ちょっとした日常の嫌なことが、人の100倍ほど(と思っている)に増幅されてしまうのです。だから心の中はいつもダークです。常に頓服を求めている私に、まさに天からの贈り物のように現れたのがこの本でした。 結論から言うと、タイトルが結論であり要約なんですね。自分が頭にくることをやる人、敵意を見せつけてくる人、厳しくあたってくる人たちは、とにかく相手にしない。筆者は「非戦」と言っています。 そして、ただスルーするのではなく「張り合わず、自分のために利用せよ!」と説きます。 孫子の兵法の有名な一節を例に、戦わずに勝つことが最善だというのがあります。まさしくこれです。最終的には相手を利用してしまうことを最終ゴールにしようと書いています。
漢文)百戰百勝、非善之善者也、不戰而屈人之兵、善之善者也。 訳文)百戦百勝は最善の方策ではない。戦わずに敵の兵を屈服させることこそ最善の方策である。
ちょっと自分には難しいですが、少なくとも、著者ほどの人物でも、それだけ苦労しているのだから、自分の周りにそんな連中がいても仕方が無いなと思えました。だって著者はシンガポール大学院の教授であり、元参議院議員、内閣府大臣政務官、ハーバード大学研究員などなど煌めく経歴の持ち主なのです。 想像するに、著者の田村耕太郎氏の職場の「アホ」は、たぶん世間的には超エリートのはずですよね。少なくともハーバード大とかに勤務している時点でアホであるはずがありません。本当のバカがいるはずはありません。それでも、自分と似たような苦労をせざるを得ないということは、まあ「人の性」ともいうものかとも思えたのです。 人として生きていく限りはしょうがないのかなと…。 心に響いた内容を箇条書きにしました。
  • 他人とのいざこざで人生を浪費するな
  • 厄介な無駄なプライドを捨てよう
  • 蒸し返すな
  • 相手にやられたふりをしろ
  • 耐えて耐えて耐え抜いた人が勝つ
  • 腰の低い人ほどデキる人が多い
  • 淡々とこなすものが最後には勝つ
  • 人生はあなたが主役
  • アホではなく自分と向き合い、己の目的に沿って生きよ
うーむ。なるほど。貴重な人生をアホのために無駄にしてはいけないですね~。 そう思ってた矢先、Youtubeで動画を見つけました。お坊さんのお話でした。 人間の煩悩は108つあるそうですが、煩悩の中での代表格が 貪 ( とん ) ・ 瞋 ( じん ) ・ 痴 ( ち )というそうです。 「心の三毒」といい中身は以下だそうです。

貪:むさぼり・必要以上に求める心

瞋:怒り・憎しみ・妬み

痴:おろかさ、愚痴

さらにこの源は、みな「痴」だとか。 痴は物事を正しく認識し判断できないこと。まさしく文字通り「愚かな人」のこと。真理に暗い人を指すのです。 こうした説法を聞くうちに、本当の愚かな人とは、アホを相手にしている(くよくよしている)自分自身のことだと思ったのです。 世の中には自分が見てアホだと思う人は、どこの誰でも存在すると思うのです。それがきっと真理なのです。 そうした真理に気づかず、腹を立て右往左往してしまうのは、まさしく愚かなことなのですね。 真理に逆らってもうまく生きることはできません。アホな人を相手にしたら「愚か」であることを肝に銘じたいと思いました! ついでに似たコンセプトの本をもう一冊購入しました。こちらも掲載しておきますね。